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余生

余生

遺言シリーズ1

ザビエルの娘 April 10, 2005
桜の盛りの日曜日、母の墓参に出かけた。
墓所はソメイヨシノ発祥の地と言われるところで、だから私にとって桜はサクラサク合格のイメージでも、春の別れや始まりのイメージでもなく、お墓参りのイメージなのだ。
今年も染井の桜は息を呑む見事さだった。文字通り樹の下に屍体の埋まる桜ですもの、凄みのある美しさでありまして。

私の母は古館一郎風に言えば、食の伝道師、女ザビエルのような人だった。
元は食物、栄養の教師で、祖母の代からの羽仁女史のファン、師範学校より本当は自由学園に行きたかった人。
私は、母にも祖母にも反発ばかりしていたバカムスメだったので、よくはわかっていないのだが、自由学園というところは家事完璧、何でも手作りできる人に育ててくれるらしい。
ご近所の奥様が自由学園ご出身の才媛でいらして、戦時下ではものすごく優秀なサバイバル能力を発揮していらしたというのが、母と祖母の語り草で、私にも「自由学園に行かない?」と自分の夢をリベンジしたいシタゴコロミエミエで薦められたが、「憲法9条があるんだから、戦時下に発揮される能力磨いたって仕方ないでしょ」とご遠慮申し上げた。
そんな母は結婚後、お付き合いするようになった外国人家庭の食卓にも影響され、欧米の家庭料理を教わって来ては、教えるという布教活動に勤しんでいた。
当然実家の食卓は洋物づくし、洋食イコールご馳走という感覚の世代なので、友達が遊びに来ると、「いいなあ、唐破風んちの子になりたーい」と言われて得意だった。

それが変わってきたのが、有吉佐和子氏の複合汚染に母が影響されてから。
何にでも、かぶれやすい人だったが、複合汚染の影響は凄かった。
庭の芝生ははがされ、畑が出現、手作り出来ない大豆、麦、米などは伝手を辿って、無農薬の物を手に入れ、醤油、味噌も手作りを始めるという念の入れよう。
自作の醤油で作る煮物の味にすっかりハマり、実家の食卓に和食が多くなったような。
小さな畑に生ゴミを埋めて、土を肥やし、作物を作る。
まだエコライフなんて言葉もなかったが、庭の中に循環を作り上げていた。

母が死んで残ったものは、その頃の私には維持出来っこないエコの庭、ヨド物置2つ分の調理器具、味噌作りの道具類から呆れるほどの種類と数のケーキ型、クリーム用の口金、鍋、釜、オーブン3台、用途すら分からない物も多数。
この家は食品工場か?と、ツッコミたくなるほどだった。

私が母から逆説的に学んだことは、「完全主義者は早死にをする」「道具には凝らない」ということ。
完全主義者の方は、なりたくてもなれないので長生きしそうだが、道具の方はというと、調理器具って、幸福感のコストパフォーマンスが高い買い物という気がして、最近その戒めが危うくなってきている。

母が死んだ時は、野菜炒めしか作れなかったムスメもそれなりに、門前の小僧だったのかな?と、最近思う。
私の布教活動は専ら、詩が相手だけれど。




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